被災地はどこも妙にきれいだった。
瓦礫が埋め尽くすところも、自動車が点々と転がっている広大な田圃の風景もどこか寂寥感の漂う、詩情あふれる風景だった。
日常がなにか巨大な洗礼を受けて詩的な風景に塗り直されているかのようだった。そこここにあるプラスティックのアンパンマンや健康器具や鍋窯や電化製品などが半ば微細な砂に埋もれているのだが決して不潔な,悲惨な、血みどろなものではなかった。
やはり、なにか強大な力が一瞬のうちに日常を化石化したのだった。
津波はそのままそこにはなく、狂った様な瞬間をすぎれば何食わぬ顔で去って行ったのだろう。水は去って泥は微細な砂になり、打ち砕かれた家の柱は壁や家具や、様々なものが粉砕されて、まさに粉々になってきれいな破片になっていた。そう、粉々のきれいな破片だった。
自動車はあの日常に見る自動車の悲惨な残骸には見えなかった。オイルやガソリンは蒸発したのだろうか?悲しみもまた蒸発したのだろうか?裏返しになって日頃見せない車の肢体は当たり前にそこにいた。
風景は舞台のようだった。
これはまさに前衛藝術の舞台だ。ランドスケープのアート作品である。
意図して自動車は電柱に駆け上り、家の上に気取って乗っているかのようだった。それにしてはちょっと出来過ぎだなと思う程にパフォーマンスは派手だった。直径20mはあろうかというオイル貯蔵のための円筒の金属体がうまく道路を飛び越して工場の敷地はしに転がっていた。その下にはぺちゃんこになった車があった。見せた事のない金属体の裏側と上部が横になって人の目に曝されている。大型のトラックが44のナンバープレートをこちらに向けて半分塀に身体を載せてお尻を曝している。それらが何も不思議はない、なにも不潔でない、なみも悲劇を感じさせずに展開されている…不思議な風景だった。
77のナンバーをつけた乗用車が裏返しにめちゃくちゃ壊れている。縁起をかついで選んだナンバーだったのだろう。やっと小さく、この数字の影に人の思いが透かして見える。
廻りの風景からは恨みや希望や熱い人の願いは不思議にかき消されている。2ヶ月に近い、この歳月が災害地の風景を詩に変えたのだろう。津波は日常的な人間の想いを街から奪い取っていったのだろう。
避難所には殆ど人は居なかった。少しの中学生とその親達がまるで留守を守っているかのように日常生活を始めている。大半の人たちは自分の家を片付けに、あるいは仕事を見つけて外出している。避難所の担当官がむしろ目立っている。様々な情報の張り紙も生活が始まっていることを教えてくれる。慰問や支援に現われる人たちも避難しているここの住民達には日常の来客になっている。まるで特別の出来事ではないように対応している。
この瓦礫の風景とこの避難所の風景はどこか共通するものがある。
悲劇はもうすっかり風化しているのだろう。そう出なければ二ヶ月の月日は過ごせないのだろう。辛さを克服して災害地の風景はいま、悲劇から寂寥感ただよう詩的な風景に変わりつつある。
ここで見えてくるのは偉大な自然の営為である。偉大な人間の再生能力である。
こうして全ては新しい秩序に向かうのだろう。大波が納まり静かな海になるように、日常もあたらしい日常を取り戻して行く。
大分に近い福岡県の山の中の奥にある民家にいる。まだ早朝の4時を回ったところである。
こうして僕も昨日のあの光景から今はのどかな山村の風景の早朝にこれを書いている。まるで絵本のページをめくったかのように、ついさっきまでの心に刻まれた光景を振り返って眺めている。