もう30年も前の事である。堀江青年が太平洋を単身で渡ったマーメード号の設計者にあったとこがある。丁度そのころ、僕は浮上港をキャンバスで設計してコンペに提出して評価されたりしていたし、海に浮かぶ家の設計をしようといろいろ工夫していた。要するに狭い土地にこだわらないで広い海に家を立てる構想を始めたときだった。
設計の内容はこうだ。小さい別荘のような用途で海に浮かんでいる家。屋上は快適なデッキで食事をしたり読書ができる。ステップで海面に降りると海面すれすれの小さいデッキがもう一つあって、そこから釣りをしたり海に飛び込んで遊ぶ事が出来る。キャビンは3つのフロートのような形になっていて、それを中でつないでいる。3つだから安定して海面に浮遊できる。
その中心に長いポールが空中と海中につながって立っている。このポールは釣り師の浮きのように舟の揺れを少なくする装置でもある。のどかな入り江に浮かべて過ごす一種のハウスボートであり,海上ハウスである。
マーメード号の設計者に僕はこの話をした。いいアドバイスが得られるかも知れないと思ったからだ。
即座に彼はこう言ったのだ。それは衝撃的な話だった。
「黒川君、君は海を舐めているね。自然の力を侮っているよ。一人乗りの、あんなに小さなマーメード号が嵐にあっても沈まなかったのは自然任せだったからだよ。小さい木の葉が大波でも壊れないのは波間に漂っているからなんだよ。自然のうごきに抵抗して安定させようと言う発想は根本から間違っている」
彼はそういったのだった。
ヨットは風にちからを利用して走る。グライダーも気流にのって空を飛ぶ。ジェット飛行機さえも空気の抵抗を利用して前に推進するだけで浮遊し、方向を変える。舟も海の中の浮力を利用している。すべて自然の力を利用している。
それなのに、川の堤防はただただ流れに抗して水の侵入を防ごうとするのか。津波のための防波堤も津波にただただ立ちはだかって勝とうとしている。核融合や核分裂という自然の力を起こさせながらその制御ができると信じている。
漁業だって自然のうごきに謙虚にしたがって収穫をあげている.農業だってそうだ。自然の中で人が人のために自然を利用するとしたら、それは自然の力に逆らうのではなく、自然の力に逆らうのではなく制御して人間の求める方向に力を流す事なのだ。野菜の水耕栽培や養魚も自然の力への敬意を払いながらの利用であるべきだろう。
江戸の大火に江戸っ子がどう受け止めどう対応したか。昔の人々はどのように大自然の振る舞いに対応して生きていたか・・・を考えてみるべきだろう。
我が家の実家は水害のメッカだった。伊勢湾に面した濃尾平野の水郷にある昔の埋め立て地だった。海部郡蟹江町大字蟹江新田字鹿島、という住所が示すように、「蟹がいっぱいいる入り江」のところだったし、蟹江新田の新田とは「新しく埋め立ててつくった田圃」だった。鹿島という地名も水に関係がある。伊勢湾の古くの埋め立て地だった。
そこに祖先が建てた家は「茅葺き屋根の民家を母屋にして、水屋が北側に2mほどの高さの石垣の上に立っていた。その建物はその名前が示すように洪水の時に避難のための棟だった。軒の下には木製の小舟がぶら下げられていて、記憶にある。
伊勢湾台風の時、僕は大学に入った年だったと思うのだが、現実に母屋は冠水し水屋に逃げて過ごしていた。舟は立派に機能して僕を離れた堤防まで運んでくれた。
なんと知恵深い祖先だったのだろう。自然に身を任せて生きていたのだろう。
さんさんと降り注ぐ太陽の光で発電できる。頬をなぜる心地よい風が電気を起こしてくれる。降った雨の海へ向かって流れる水の力も電気になる。地球の内部には煮えたぎるマグマがある、そのエネルギーを使った地熱発電だってある。海洋国の日本には波浪発電だって可能だ。夫々の土地で、必要な時に必要なところで発電すればいい。送電することで起こる膨大なエネルギーロスや集中して発電する事で起こる電気不足もなくなるだろう。
エネルギーもそこで、食料もその場所で、自産自消で自給自足でグローバル時代だからこそパーソナルになる。パーソナルになってお互いにリンクし合う時代である。大型コンピュータではなくて小さいコンピュータでリンクし合うことで大きな力を発揮するように小さい力がネットワークをつくる時代である。
震災後のそして、デジタル技術が進化するこれからの時代の街づくりのビジョンである。