驚天動地とはこのことだろう。大地は毎日のようにまだまだ地震が続いている。20mもあるという津波やその後の原発の事故による放射能汚染。それではまだ収まらない。世界の人たちが日本からすっかり逃げていった!世界の人々は日本が大好きといいながら訪れようとしない。放射能が怖いのだ・・・地は揺れ、天は放射能が漂っていると見えるのだろう.この小さい東の端の世界の僻地に、だからこそエキゾティックだった島国日本はこうなったら全土が放射能汚染と感じるのも不思議はない。
その上に、まだまだあった。日本の企業がその活動を停止しているのだ。部品が足りないと世界に散らばっているトヨタの工場が生産を止めた。いつも通っている食堂も店を閉じている。料理の素材の供給が止まって開店の予定が立たないのだそうだ。
まだある。これからなのだが、夫々の会社は電力カットに向けて必死でいる。殆ど不可能なのだそうだ。それでも実現しなくてはならない。
メールが来ない。客が来ない。スケジュール表には予定が少ない。中国での作品の展示計画とコンペの審査、韓国ソウルでの国際会議のスケジュールはあっても国内は静かだ。昨日の鳥居ユキさんのファッションショーも自分のショールームでの小規模な会になった。毎年あるショーの後の会食も中止になった。穏やかだけれども心の冷える状態である。
こうしている今も、多くの人々は苦しんでいる。悲しんでいる。
三万人に近い人々が死んでしまったことになる。それぞれの家族や友人達が夫々に10人いたとしても30万人の人たちが親しい人を亡くして悲しみに暮れている。家族が稼ぎ手を失って今の哀しさだけではないずっと続く悲しみをこらえて過ごすことになる。
どんな街をつくるべきだろう。この悲しみが再びこないようにするにはどんな街がいいのだろう。この悲しみは人間のなにかの間違いのせいだろうか・・・。
不遜な人間達に自然が示した警告なのかも知れない。
原始の火を弄んだ人類への警告か・・・自然に打ち勝つことが出来ると思い上がった人間への報復なのか。
自然の偉大さを知っている日本人でさえ、このていたらくである。新しい街づくりは自然への人間の敬意と敬虔な祈りを埋め込んだ物でなくてはならないだろう。
江戸は何度となく大火にあいながら何度でも燃えやすい家を、街をつくってきた。滅びる事を許容する街を探す事なのだろう。
津波に打ち勝とうとする事の間違いを知るべきだろう。津波がきたら流されるのでいいのではないか・・・山に家を建てて、港から遠ざかる街をつくるぐらいなら津波にいつでもおいでと流される計画でいればいい。ただその場合でも人は一人として死なせてはならない。街は流されても人は死なない街なのだろう。大切な思い出の品は高台の然るべき施設に大切に保存しよう。流された街は保険ですぐに、同じ場所に再建される。流れに身を任せながら大自然の摂理に従って流されながら立ち直る事なのだろう。
どんなに堅固な建築や防波堤でも街は流される。それを今度の震災とそこから始まった様々な災害が教えてくれた。柳に風と受け流しながら強靭に生きる方法を探すのだろう。
美しいだけが自然ではない。恐ろしい猛獣も自然。この驚天動地な出来事も自然である。自分自身が生まれて死ぬのも自然の流れである。
大きな事を教えてくれたのだろう。
2011、04、22