黒川さんの思想は「生と性」が中心にあるのだそうですね?・・・天津TVの美人キャスターがでっかいスタジオで僕に話しかけた。「え?」と聞き返す。なんとも唐突な質問から始まったからだ。かわそうとするのだが下手な通訳では上手く逃げられない。その頃、僕のメディアでの「性」に対する発言が誇張され始めていて要注意と思っていた矢先だったからだ。
中国のメディアの連中は一部を除いてちゃんと他のメディアでの僕の発言を読んできている。僕自身も成長し続けているからいつのどこでの発言かはっきりしないとその真意を思い出せない。こんなことがよく起こる。中国という国の情報は政府に相当、管理されているくせにウィチャットやウェイボーで内容は軽いのだが爆発的に発信される。誰かが「黒川さんが今、講演している」とか「こんな作品を展示している」と流すとあっという間に数百にその情報が拡大される。そこが恐ろしい。
「77歳のアイドル」はそうして造られていったのだろう。ちょっと発信する情報を間違えるととんでもないことにだってなり得るのだ。芸能界ではタレントを売り出すためには相当な情報管理をしているらしいし、今をときめく建築家やデザイナーたちは明らかに自分の情報管理を丁寧に慎重にやっている。僕はそんなこと考えたことがないのだから実に危なかったというべきだろう。多くの人たちが「黒川君はもっと意識して人生や情報をコントロールする方がいい」とアドバイスをくれたのだが「やりたいことをするのがいい」といつも自然体でやってきた。そんな僕さえ、「気をつけなくっちゃな・・」と思うほどに中国のメディアは馬鹿にできない情報力をもっている。きっと今まで通りにしか僕は生きていけないのだろうけれど・・・。
天津TVの取材はそんなわけでしばらくお蔵になっていたのだが,最近になって天津設計週のチャンスにそれが復活することになった。僕の発言を別の翻訳者に翻訳させたところ、充実した内容だったことに気付いた・・というのだ。通訳の善し悪しはとんでもない結果になることだってあるのだ。13億とか14億とかの人口を抱える中国の情報の拡大力は巨大だからいったん露出すると相当な注意を払わなくちゃならないのがちょっと面倒になっている。
僕は昔から自分の人生を「とっ散らかして生きるぞ」と言ってきた。整理などしている暇がないほどに・・という意味でもあり、理論的な整合性などいらない・・・という意味でもある。また、他人など意識しないで生きる・・という意味だって含んでいる。だから建築家なのに家具や製品のデザインまでやり教育的なことや社会運動的なことも、ウェブサイトでの活動など・・・それぞれの時代にそれぞれの生き方を重ねてきた(3回の結婚もその現れかも知れない・・・)。そして今の中国がある。77歳のアイドルはこうして生まれた(偶像を辞書で引くと、「(芸能人などの)アイドル」の他に、「崇拝する偶像」の意味や「絵空事・幻想」などの意味がある)。ちょっぴり世間に自由を奪われた感じになったがこの生き方は変えられないだろう。「とっ散らかした人生」はきっとこれからも続くだろう。
僕は「作品は物質によって書かれた理論」であり、「理論は言語で描かれた作品」であると言ってきた。また、こうも思う。「建築やデザインは物質という言語で詠った詩である」と。おそらく理論も詩なのだろう。理論だって美しくなくちゃならないのだから・・・。
すべての作品を恥ずかしげもなく外に晒してきた。それは理論だったり作品だったり人生だったりした。過ちをいっぱい含んだ理論や作品や人生はいつも次の行動の指針をくれた。そして、また過ちを繰り返すのである。理論も作品も人生もそんなものなのだろう。77歳のアイドルもいつか「落ちた偶像」になるのだろう。それでいいのだと思う。
「生と性」は確かに僕の理論と作品の根源になっている。そこに美の重要な秘密が隠されている。「死こそ究極の美」・・・と言ってきたがその裏側に「生と性こそ究極の美」という思想が隠されているのだろう。あの美人キャスターはきっとそれを見抜いていたのだろう。
(写真は天津別荘「夢蝶庵」の中庭)