まだまだ中国への誤解が多い。TVや新聞ではどうしても政治や事件しか扱わないから鳥インフルエンザがあれば中国中が危険に見えるし反日デモがあれば中国中、反日感情が吹き荒れているように見える。メディアは相当注意して報道しないとネガティブな感情をどんどん広めてしてしまう。
そこで、僕の回りの具体的な人間像を語ってみることにしたい。
Rさんという人物がいる。今回の旅はその関係の旅だった。彼は40代の恰幅のいい甘いマスクの好漢である。会社は沢山あるからどれが本拠地か分からないのだが医療器具の輸入会社が中心らしい。デザイン会社や工事会社を持っていて、出版をしたりギャラリーを持ったり・・・と文化事業にも手を出している。文化活動というべきかも知れない。
なにせ今回のプロジェクト、天津国際設計週(デザインウィーク)は今年は政府の予算が付かないので彼の私費で開催しようというのだから並のお金持ちじゃない。でも卒業は天津芸術大学。アーティストでもある。
そんな彼が僕を大切にしてくれている。彼のお父さんと僕が同年だというのだ。丑年・・・。父のように思えて・・・と僕の本を読んで作品を知って、その年齢を知ってから特別な態度で接してくれる。車のドアの開閉、エントランス、トイレのドアの開閉まで手を貸してくれる。階段では腕を取って注意を払う・・・。
中国人は家族を大切にする民族である。春節などのいろいろな節では全員、家に戻り、親戚を集めて心を温めあう。稼いだお金から数十万円に相当する金額の元を父や母にプレゼントしたりもする。ある友人はマックを従姉妹にプレゼントしていた。お金を支払うのが大嫌いでなかなか払ってくれないという反面、気に入った人や親族には気前がいい。要するにお金を大切にしているだけである。上海の名園の踏み石がお金の形だったり、ビルがお金の形をしているのは守銭奴というより金の価値を大切にし、平気で表現しているだけのことである。日本人はその大切さをしりながらどこかでお金を汚れたものと思っているきらいがある。でも彼らはお金をてらいなく大切に思っているのだ。
彼と天津で会食する。チェロ奏者で音楽大学で教鞭をとる奥さんと4歳半の男の子と彼と僕のマネージャーと5人での会食だった。育ち盛りだが作法をちゃんと守る少年。そういえばお父さんの彼は食卓に肘をついたりしない。帰りにはレストランの階段を降りるのに4歳半の息子が僕の手を引いてくれた。父を真似たのか父の指示に応じたのかは分からない。
彼は政治家ではないのだが天津の人民大会ではひな壇に並ぶ。毎日のように区長が何人も訪れて都市開発などの仕事の相談をしている。天津は昨年、上海を抜いて一番経済活動が発展した都市だった。巨大なショッピングモールができ都市づくりがすすんでいる。
広州にショッピングモールをもつ富裕族ファミリーの長男が友人にいるのだがその彼と違って英語も話せない。人間性豊かで全身で気持ちを表現しようとしているように見える。
中国との国の関係はぎくしゃくしているのだが、日本人と中国人の一人ひとりの感情は彼に限らずすばらしい交流ができている。もう一人の北京の中国人の社長はこういう。「日本に来たら中国人は全員、日本が大好きになるよ。だから心配ない・・・」と。政治って何だろう?国ってなんだろう?ふっと思う。国を愛する・・と考えたら日本人も中国人もとたんに尖閣列島は自分のものだと対立的感情になる。もう少し、皮膚感覚で中国と日本が感じあうことが大切なのだろう。新聞もTVも皮膚感覚を伝えることができない。
もっともっと訪問し合うことが大切なのだろう。頭ではなく野生的な感覚で人は人と触れあうことが必要なのだろう。
(写真は清水寺でのRさん。身体を縮めて僕より大きく写らないように注意しているのが分かる。そんな気遣いをする男だ)