中国の人たちの我慢強さはすごいね、と僕は中国の友人に言った。清朝の昔からずっとそうですよ、と彼は言う。確かに・・・中国人の我慢強さの並大抵ではないのは中国の歴史を見ると理解できる。元は蒙古族が支配した時代だ。明は漢族の時代だが、すぐに清朝になる。清朝は満州族が支配した時代である。
そのそれぞれの時代にたくさんの人たちが殺戮されたのだろう。でも営々と漢族は生き続けている。漢族の概念は民俗学的にはかなりいい加減らしい。元の時代に中国を去らなかった人たちも漢族を名乗っている。少数民族扱いが不利な時代は満族も漢族だと申請し、少数民族への手厚い対応が始まったら多くの人が満族になったりそうである。
日本人には信じにくいことなのだが、突然、自分たちが選んだのではない人が中国の大統領になる。市長になる。すべてが市民の関係のないところで動いている。中国のあらゆる情報は政治がコントロールしている。それは支配でもあるが「上から」中国の調和を考えてのことでもある。市民から考えると支配なのだが、中央から考えれば調和のための調整である。
こんな言葉があるという。「上有政策、下有対策」という。政府が政策を発表すると市民はそれへの対策を上手に立てるというのだ。確かに我慢強い。一筋縄ではいかない強さがある。我慢強さがビジネスでも発揮される。「お金を払いたくない」・・・これが中国人の一般的、強い心情である。できれば支払いなしで済ませたいといつも思っているから仕事をする側は大変である。
それならこちらだってそれで行こうと考える。我慢強く、絶対に払わせてやる・・・と「郷に入って郷に従う」考えで行くことにしている。中国人のように我慢強くやればちゃんとお金は支払ってくれる。税金を納めるのが大嫌いなのは中国人も日本人も同じなのだが我々はどこかで「これは義務だし、これで社会が収まるのだから・・・」と正直な申告をする。でも中国人は決してそうはしない。「できれば支払わない」という思想を我慢強く、徹底する。
長い歴史の上でも現在の生活でも、中国人は支配者が自分たちではないから「大きな力」に対抗しようとする知恵が生まれる。それが「我慢強さ」だったり「お金へのこだわり」になる。自分たちが自分たちの世界の決めていると思えなければ自分を「大きな力」から守ることに真剣に成らざるを得ない。自分を犠牲にして社会の調和をつくろうとは考えない。
中国の「大きな力」は月探査機を送ることもできる。アメリカと「大国同士」と自己紹介もする。「大きな力」が健在なら持ち前の「我慢の力」で調和を保っていく。
いつだったか・・・もう10年以上前のことだが、経済産業省(当時、通産省)のある課長が僕に言っていた。「日本で遺伝子工学の専門家を集めようとすると優秀なのは数名なのだが、中国は優秀なのが数十名、簡単に集まる」。それが中国の恐ろしさだというのである。人口が10倍いることと、この知恵と資金の集中力が日本では太刀打ちできない力である。
僕は中国人を大好きだ、と言っている。中国人とは仲良しである。いい人ばかりである。ところが中国という国家は脅威にもなる、中国のもう一つの顔である。文化と政治を分離したいな・・・とつくづく思う。中国人とは経済と文化だけでつきあっていたい。政治は僕の知らないところで動いているし、政治はどうしても好きになれない。
中国人とつきあうためには、この国家とつきあうためにも、「我慢強さ」が必要だろう。左手で指相撲でもしている気分で右手で握手し合っているのがいい。尖閣列島の問題なんてまるで指相撲の程度の争いだと思っているといい。永久に指相撲を戦い、遊びながら文化的で経済的な世界だけで仕事をしているのがいい。「我慢の力」である。