このところブログを離れてフェースブックに偏っていた。確かにフェースブックはすぐに手応えがあっていい。その気持ちよさに流されていると気づいたときにはその内容までが流されている。フェースブックはやはり現代的なのだ。ふっと心の中を寒う空気が通り過ぎる。
僕はこう言っていた。フェースブックは「辻説法」だ、と。立ち止まって聴く人もいればちょっとそちらを見て足早に去って行く人もいる。それでもいい、語っていることが大切なのだ・・・と、そう思ってきた。辻説法だから寒風が声をかき消し、心を一瞬、寂しさが通りすぎたりする。それは当然のことなのだろう。
その代わり、反応がいい。ぱしぱしと反応がある。これが現代というものなのだろう。同時にちょっとこころ寒くもなる。
ブログを復活してみようと思うようになった。そう、何度もそう思ったのだがいざとなると面倒だ。そうだ、きっとこの面倒さは物々しいセッキュリティーにあるのではないかとパスワードを簡単にしてみた。覚えておくことも難しいパスワードだったからこの点は解決したのだが・・・それでも大変やっかいだ。
フェースブックに比べてブログはどうしてこんなにスピード感がないのだろう。常々思うのだが個人情報の保護だのセキュリティーだのは僕のように開け広げの人間には面倒でかなわない。そんな立派な個人情報などもっていない。知りたいことはなんでも覗いたらいい。悪質なウィルスは困るのだが人間性善説の僕はそんな警戒などしたくはない。
「デザインと死」はこの曼荼羅ブログを見つけたソシムという出版社のおかげで本になった。つい最近、この本は簡体語で中国の出版社から翻訳本が出版された。フェースブックも整理してまとめて出版も可能かと思っていたのだがどうもそれはいろいろな意味で難しい。テンポが軽やかすぎてしまう気がする。
ブログの重さとフェースブックの軽さを両方生かしてみようかと考えている。しばらくは実験である。
とにかく、僕の頭の中には語りたいことがいっぱいある。このまま死ぬわけにはいかないのだ。語り尽くしてからじゃないと死のうにも死ねない。創りたいものもいっぱいある。やりたいこともいっぱいある。限られた人生でこれをやり尽くすことは難しいだろうけれど、挑戦するのが人生なのだろう。
続くかどうかはわからないけれど、挑戦してみようと思う。
(2013/11/29)