このところ東アジアの歴史や地理を調べ思索し、東アジアとは何かを掴もうとしている。僕の探り方の一つは地形なのだが、人や思想の移動が地形と関係が深くて「地形による文化史」が出来そうである。
中国は「大陸」、韓国は大陸から生えた腕のような「半島」であるし、日本はその半島の先にはなれてある「島」になっている。韓国は大陸の一部でありながら半分だけ島の性質を持っている。
島国の日本は異民族の流入による混血がなく、ガラパゴスのように文化は特殊化し、純化した美意識が生まれたし、韓国は日本に比べるとやや大陸の一部として支配民族の交代や混合が起こっている。大陸の中国は多様な民族の交流の場という程に支配する民族の激しい交代という混沌の場である。
この地形の3つの国の個性を前提にして、どのように東アジアとして同一の文化、美意識をつくりあげたかを考えなくてはならないのだが、東アジア全体を眺めると中国の圧倒的な面積が巨大な高地であり、西から(ヨーロッパ)と南(インド)からの文化の流入を妨害している。
生活圏として適した平地は西安、成都、重慶あたりから東であり、黄河と長江の下流域、沿岸部に開けている。一方、日本の東は広大な太平洋があって大きな壁になっている。国境の概念を捨てて「文化の領域として東アジアを見る」とこの西の高地と東の大洋に挟まれた、「黄海を中心にするエリア」が東アジアの文化の盆地に見えてくる。桃源郷のようでさえある。
最盛期のローマが地中海を中庭のように真ん中に持ったエリアだったのだが東アジアも黄海を中心にした一つの「東アジアの文化領域」を形成していることが明確である。次の時代をつくる「文化の東アジア圏」があり、僕の取りかかっている「東アジアの美意識」のエリアの括りが見えて来た。