家や街は壊れても命は失わない。そんな家や街を構想しよう。
もちろん先ずは壊れない家と街の建設であるし、壊れても修理しやすい家や街もいい。耐久性のある家は壊れ難いが壊し難くもある。木造は改装し易いがコンクリートは改装し難いのが一般的である。
壊れても命は失わない木造建築の工夫もしたい。壊れ難いコンクリート造なのに改装しやすい建築だって工夫できる。江戸時代の街や家は大火に焼かれてもすぐに再生された。多くの人の命は失われたのだが決して耐火建築に建て替えたりはしなかった。燃えたら建て直す、燃え易い街で、美しく過ごしていたのである。それも一つの選択だろう。
壊れても命を失われない家。強固にするのではなく、適当に揺れ、適当に壊れながらそれでも命を失う程には壊れ尽くさない家。たとえ壊れても懲りない人間の努力が再生させる街。自然と共存する街を僕はイメージしている。
人間はいつか死ぬ。いつまでも生きていたら若い命は生まれない。人間は遺伝子を運び、遺伝子を次の世代に伝えたら死ぬのが当然なように家も文化を伝えたら壊れてもいい。哀しいけれど人は老い、人は死ぬように、哀しいけれど家も古び、壊れるからいい。
命だけ守りながら壊れるのがいい。保険で再生しながら新しい時代の新しい街をつくって行くのがいい。
そのためには避難スペースの準備だろう。100年に一回しかないかも知れない津波に投資してもいい避難方法の工夫である。
「待避のための地下室」を提案したい。
普通は津波には高台に逃げる。しかし、上に逃げる発想には限りがない。三階に準備された避難所に逃げて死んだ人々がいる。次は何mの津波となるか予想などできない。高いところに逃げるという発想の最大の難点はこの「安全な高さの限界がない」ことと、「老人や幼児や身障者」には向かないということである。高いところには逃げ難い。津波はどの高さまで逃げれば安全かという限界が見えない。
地面は海面下から少しずつ浅くなってついに海面の外にでる地形をしている。一部の人工的な突然深くなる港などでも防波堤のように独立して立っているのではないから壊れ難い。湾も次第に狭まるのが普通である。だから津波をどんどん絞られて高くなり、30mにも40mにもなってしまう。
地面の下には津波はこない。波は地表を這うように駆け上って行くだけである。そして、地面はどの家の下にもある。どの家からも瞬時に避難できるのが地下室である。アメリカのハリケーンの多い地方では地下室に避難する。津波も地下室は襲わない。
一部には70センチほどの地盤沈下もあったし、地盤が7mも移動したりしている。それでも津波は襲って最後には大海に逃げて行く。
津波は河川の氾濫にようには長居しない。去って行く。通り過ぎるのを待てばいい。まさに待避所である。
地震も地下はさほど揺れない。
数十分でも水が入らない地下室をつくればいい。もちろん1mや2mの浸水には耐えるだけではなく、脱出できる工夫も居るだろう。2〜3日の酸素や食料の保存も必要だろうし、通信施設も大切だろう。
地下室のいいのは日常的に使えることだ。ワインセラーや音楽室や図書室もいい。工場では従業員のちょっとした休憩所にしたり、倉庫も程度を超えなければいい。
その上、直ぐに避難できる。下に逃げるのだから一工夫すれば身障者や老人にも問題はない。上を津波が駆け抜ける・・・という不安だけが残るのだが・・・。
家ごとの地下室もいいし、地域でつくる協同の地下室もいい。隣の地下室とつないでまるで蟻の巣のように地下都市が出来るかもしれない。地下室の深さになれば地盤だって安定している。天井高2.5 mとして構造も入れて3mとなればちょっとした埋め立て地だってしっかりした基礎ができる。
上に逃げるのではなく、下に逃げる、「逆転の発想」である。