5月 13, 2011

人は変わらない。人は何億年もの以前から大切にDNAを守り伝えて来た。人は変わらない。人は懲りない。どんなに世界がデジタル化しようとも、どんなに世界がグローバルになろうとも人は変わらない。

 

僕はここで育った・・・この事実は曲げられない。この土地から生えて来た、まるで樹木のようなのが僕なのだ。だからいい加減な新しい土地に移植されては困る。人はその土地に根付いている。これを忘れてはならない。

 

被災した人々の家はそれのあった場所につくるべきだ。性懲りもなく同じところに家をつくるべきだ。人は変わらないし、懲りない。とんでもない力を発揮して流された家の場所に性懲りもなくまた家をつくる。これが当然の生き物の原理である。

 

きっとその家はいつかまた流されるであろう。自然は強烈である。膨大な資金を投入して防波堤をつくっても津波はまた街を呑み込むだろう。そう、人は自然に翻弄される。それが当然な姿なのだ。

それでも家はその場所につくるべきである。

 

江戸の人々が大火にあっても何度でも同じ街をつくったように、東北の人々は負けてはならない。自然に負けるけれど、生き物として負けてはいない。同じように馬鹿のようにそこに家をつくる。

 

でも・・・大切な事は、街は壊れても人は生き続けるべきだということだ。新しい古い街では、人は一人として死なせてはならない。家は流され、街は消えても人は全員、生き残っていなくてはならない。そんな避難の仕組み,街の仕組みを準備することになる。

 

防波堤をつくる費用で保険を掛ければいい。流されては作り替える根性と知的な配慮である。20m、30mの津波を防ぐ防波堤は天文学的数字の資金が必要だろう。そのお金をつかって再建のための保険契約をすればいい。保険も一つの防波堤である。

 

山に住んで港の職場に通勤する案とか津波より高い人工大地をつくってそこに新しい家を建てる案がある。どれも間違った提案である。人の心を無視している。街づくりも家づくりも、人々の未来の描き方は「そこから見える未来」を描くことである。今の先に未来があるのではない。未来は今の中に希望や夢としてある。そんな未来を現実の街に定着させたい。人々の想いは「ここから始まる」ことを忘れてはならない。

 

敷地を全部、まっさらにして新しい街を計画するという愚行をしてはならない。新しい街のイメージは住民の心の中にある。その青写真は自分の住んで来た家の敷地から始まる。自分の生きて来た街の土地から始まる。

 

被災地の避難所で沢山の人々が段ボール箱や布団で自分の仮の家を体育館の中につくっていた。自分の身体から発想した、「まるで自分の巣作り」のようにつくった自分のコーナーである。その延長に新しい街のイメージを探るべきである。神の目線からの街づくりを止めるべきである。まるで巣作りのように街が出来て行くように仕向け,建築家や政治家はマネージャーとして街づくりを手伝うべきである。

 

家とは人間の巣箱である。建築家は夫々の巣作りのアドバイザーであり、助っ人である事を忘れてはならない。

 

先ず、瓦礫を取り除いて夫々の家の土地を明確にし直す事である。そこに避難のための公共建築や避難のルートを定めて、残りを夫々の人が取引をする。そこに建てたい人は建てればいい。売りたい人は隣の人に売ればいい。人々はまるで集落が出来て行く仕組みのようにお互いに気遣いして自分の家を建てる。隣の人の家の窓の前は空けておこうとか風景を遮ること、太陽を遮る事を気遣いで避けて建てる。まるで群衆が上手に人を避けて歩くように、人がぶつかる事はないように、家も優れたダイナミックな調和を保つ街を形成して行く。

 

争いが起これば調整役がでるだろう。マネージャーはいろいろなアドバイスをするだろう。

 

材料を協同購入したりするのもいい。人の使っている素材を見つけて真似るものいいだろう。世界からこぞって建材の売り込み市ができるのも楽しい。

 

頭ごなしの計画はやめよう。

土地を政府が買い占めて再分配も止めよう。

大型の集合住宅を建てて住民を放り込むのも止めよう。

街づくりはその街の住民に任せよう。家づくりと街づくりを通じてその街の人々は議論をし、諍いを調整しながら素晴らしい経験をする。街づくりの経験をするのだ。ここから街の生活が始まれば素晴らしいコミュニティーが生まれるだろう。街をつくることで街の運営のノウハウが生まれてくる。

 

そのチャンスを政府も行政も建築家も奪うべきではない。

原発の事故も本当は市民に政府はこう問いかけるべきだった。「原発事故によって放射能が危険は量,排出して。みなさんはこの事態にどうしたらいいと思いますか?」必要な資料を提供して彼ら自身が自分の意志で避難を決めるべきだった。

でも行政も政府も避難を命じ、エリアへの立ち入りを禁止した。

もう初めから人々は自分の人生を自分の街づくりの意志を奪われていた。

 

あたらしい街づくりではこれを繰り返してはいけない。自分たちで自分の街や自分の人生を考える経験を奪っては行けない。

 

ボランティアの本当の意味を知っていますか?

ボランティアとはVOLUNTEERであり、VOLUNARY とは「自発的な」という意味である。VOLUNTARY SPIRIT は自発的精神を言っている。

 

アメリカ人は自分で自分の命を守るために銃を所持している。アメリカ人がボランティア活動を盛んに行うのは「自分で街を守り、自分で世界をつくる」ことを目指しての事なのだ。日本人は犯罪を取り締まるのは警察でありお役所だと思っている。

 

街づくりは自分の街だから自分でつくる権利を住民も放棄してはならない。これからの日本はますます自分で生きることを求められるだろう。発電だって自分の力で電気をつくる意識を持つ必要がでてくる。街が汚れていたら役所に電話をするのではなく、自分できれいにする。

 

被災地にボランティアが集まったけれど,本当は住民が自発的にボランティアをはじめるべきだった。それを外の人たちが助ける。瓦礫を片付ける仕事は自分たちでする。政府は彼らにその仕事を与えて支援金からD給料を支払うのがいい。人間の生活とは食事をして寝る事だけではない、その上に仕事をして社会と関わり合う事も生活の基本である。その最初の仕事を政府は被災者に与えるべきだった。自分できれいにした自分の町に自分たちの意志で街をつくっていく。そのための資金や労働の対価として支援金を使うべきだったと思う。支援金はあげる事ではなく、直ぐに始まった「瓦礫の整理や建設の仕事の対価」として使うべきだったと思う。

 

本当は、被災の直後から再建の街づくり、生活づくりが始まっていた。そのチャンスを奪ったのだ。被災者は同情され、保護されてそのために支援金が使われて来た。

 

すでに大きな間違いが始まってしまっている。

多くを学ぶチャンスがこの震災とその後の出来事の中にある。

 

新しい街はこんな形になるだろう。自然への謙虚さと知的な対策を持つ、人の心に従って昔からの土地に根づく街である。

 

人々は同じ場所に、同じように家を建て、避難のための高台に向かう広い道路と緊急避難のための避難所を建設する事になるだろう。その建物は公共施設にするといい。津波のなかで津波の力に対抗することなく、受け流す舟のような建築がいい。津波の方向はもう分かっている。だから津波が襲ってもその流れを柳に風と受け流す建築にすればいい。

 

津波の力に破壊されない方法は「流される」か「流れを変える」かである。流されながら、翻弄されながら壊れない家かそこに根付いて津波を受けても舟の舳先のような形をした先端が津波の波を切り裂いていけばいい。

その避難所の設計は船舶の設計技術が生かされるだろう。

 

家は流され、再び大切な思い出の品々は失われるだろう。でも同じ土地は残っている。そこに再建して新しい記憶をつくればいい。復旧によって復興する計画である。

 

大自然への敬虔な気持ちを忘れる事なく、自然への挑戦と自然との共生を計る都市となるだろう。自分も蟻や石ころや樹木と同じ生き物だという謙虚さと自信とを忘れてはならない。