4月 29, 2014

近頃、自分の思想が1つの階段を上りきって踊り場に届いたかな・・・と思うようになった。日頃からのいろいろな考えが1つずつつながって大きな思想のネットワークになってきたように感じている。

丁度いま、1つの建築が完成に近づいて、その原稿を書いていて・・・書きかけのいろいろな原稿の内容が1つにつながってきた実感がある。長年、僕は自分のことをモダニストだと言ってきた。近代思想にあからさまな反旗を翻したりすこともなく、僕が学んできたその延長にいまの自分の建築が自然に生まれて来た。

それなのに、いま、僕は気づいたらモダニズムの外に立っている。立っていることに気づいたという方がいいのだろう。

僕はただ、日本人である自分の身体の中にある感覚を拾い出して「八つの日本の美意識」を書いた。それは確か10年ほど前のことである。そして5年ほど前から中国に出入りするようになり、言葉にならない中国人の求めに応じて「東アジアの美意識」をまとめた。まだ本にはなっていないのだが複数の講演会をしている。

そうして、僕の思想は自然思想にたどり着いた。19世紀までの西洋の思想はキリスト教だった。いまでもそうなのだが「神」が規範となる思想でありその思想が生活全部を含んでいた。そのヨーロッパで近代が始まる。近代思想は当然、キリスト教的土壌に生まれ、育ったのだからキリスト教的になる。絶対的な神の価値が科学的客観的価値にすり替えられる。神の普遍性は科学の普遍性にすり替えられる。その思想はまたたくまに世界を覆うようになる。近代思想はこうして世界の思想になった。

そのヨーロッパで「神は死んだ」とニーチェは叫ぶ。日本でそれを読んだ大学生の僕は「僕には初めから神は居なかったけど・・・」と怪訝に思ったりしていた。哲学者たちは神の価値を脱出して人間の価値に気づいたのだ。デモクラシーはこうして始まった。20世紀はアメリカを中心とする「人間」を価値軸とする世界を創りあげた。科学的思想にすり替えたキリスト教的思想がこの「人間軸」の思想と一つになって近代思想を形成していく。

自由と平等のデモクラシーは人間の価値を主張するのだが次第に,多くの人々が疑問を持ち始める。バック・ミンスター・フラーは「宇宙船地球号操縦マニュアル」という本を著す。1963年のことである。地球上のすべての富を地球上の人間全部に平等に分配したらすべての人類が飢えてしまう」という指摘である。圧倒的な数の貧困する人々を前提に僕たちの普通の生活があるというのだ。人は次第に人間主義の元に自然を破壊し始める。産業を優先させたからだというのだがそれは人間を優先させた結果なのだ。人間のエゴイズムが地球を破壊し自分の生活環境を生存不能にしようとしている。

アジアの自然思想はヨーロッパのキリスト教思想とイスラム教の思想から影響を受けないで温存してきた思想である。ヒマラヤ山脈とモンゴル高原とその間に広がる砂漠地帯が障壁となってこの一神教の進入を阻止し、東アジアに育まれてきた思想だった。自然を恐れ畏敬の念をもち自分の中にこそ自然があると考える思想だった。

21世紀はこのアジアに経済と文化の軸が生まれるだろう。ヨーロッパの「神の軸」の時代、アメリカの「人間の軸」の時代を経て、アジアの「自然の軸」の時代が訪れる。

こう考えてくると、自然思想は近代思想へのアンチテーゼだったことに気づき始める。ポストモダニズムを論じるつもりはないのに気づけば僕の思想はモダニズムへの反旗だった。モダニズムの客観は主観に置き換えられるべきだろう。モダニズムの普遍は特殊に、純粋性は多様性に、秩序は渾沌に置き換えられるべきである。たくさんの思い込まされた近代思想の過ちが見えてくる。

どうやら近代思想はそれが生まれたキリスト教の思想が骨組みをつくっている。キリスト教徒が80%を超えるヨーロッパとアメリカで生まれ育った思想だから当然だろう。いま、アジアの時代が来ようとしていて改めて考えるとこの「自然思想」こそ近代を超える思想になるのだろうと思う。

僕のこの数年間の心の旅路はこんなものだった。モダニズムを超えようとした多くの思索はなにも得ないで消滅していった。結論は結局、モダニズムの中にすべてはあると言うものだった。僕自身も自分の仕事をモダニズムだと考えていた。モダニズムを超えようなどと考えないことで、僕の思想はモダニズムの外に出ていた。

僕はこの自然思想を建築を通じて考え発見してきた。建築の方法で僕はこの自然思想を深化させていきたいと思う。自然思想による建築の方法がある筈である。思想を建築で探し、建築に表現して始めて,建築家の僕はその思想を体現したことになるのだろう。天津で工事中の「夢蝶庵」にその最初の試作ができる。

(満族の四合院を変形させて宇蝶庵のプランが生まれた)

4月 27, 2014

このところ、半分を中国で過ごしている。この生活はまだ3年程度で、中国に触れる年月は少ないのだが、中国にいると日本にいる時のようにスタジオや家に閉じこもっていることはない。ほとんど毎日誰かと会い,誰かと仕事をしている。だから短時間なのだが中国の全体が見えてくる。

人間は実に上手くできていていろいろある癖は他の状況と緊密に関係している。1つのことだけを取り上げて批判したりすることは本当に怖いな・・・と思う。そのいくつかの例を取り上げてみよう。

こんなことここで取り上げていいかちょっと悩むのだが、今回のデザインコンペの審査会は中国の2つの大学の学長とフィンランドのデザイナー、ハッリ・コスキネンと僕の四人だったのだが、僕たち二人と中国の二人の審査員の間で大激論になった。高得点だった十数点の作品の中から金賞、銀賞、銅賞を選ぶのだが簡単ではない。それも価値感の相違というより事情の相違が激論を生むことになったのである。最高点だった作品に一人の学長が反対を唱えて譲らない。理由ははっきりはしないのだが、自分の大学の教員の作品らしく、個人的理由でその案を金賞にしたくないというのだ。僕はフェアーじゃないと激怒する。理由を問うても言葉を濁してしまう。最後には審査委員長の僕に任すというので金賞になった。銀賞は2つなのだがこの2つがまた決まらない。ビジュアルデザイナーなのだがある大学のもう一人の学長がどうしても10位にも入っていない案を銀賞にしたいといいだすのだ。理由は自分の大学の学生の作品だから・・・とはっきりしている。2時間のやりとりの後に結局主催国の事情に配慮して僕が折れた。あきれてしまうのだが中国はこんな風に金賞が決まり、銀賞が決まる。コネクションがなければ中国社会では生きていけない。政府とのコネクションだけではなく、こうして学長とのコネクションがなければ浮かばれないのだ。

僕は中国社会のネットワーク力をすばらしいことだと思ってきた。同級生や同じ大学の友人と組んでお金を出し合い事業をどんどん広げていく。だから事業の形もある会社には投資していて、自分の会社には投資を求めて複数の企業がネットワークを組んで多様な企業の総合体になっている。これは国家的規模の巨大企業でも政府も投資してこのようなネットワーク企業をつくっている。

そのコネクションがこのような形でデザインコンペの審査の場面にまで顔を出すのである。

そもそも、中国は計画がいい加減だ。建築設計の場面では資料となる既存の建物の図面を要求しても保存してないことがざらである。送られてきたとしても図面は間違いだらけである。こちらで描いた設計図もよく読まないで適当に変更して工事する。計画より現場で上手に納めればいいと考えているらしい。実行力は凄い。信じられない期間であっという間に完成させる。ものすごい現場力だ。計画力より現場力・・・これが中国なのだ。がんがん実行だけが繰り返されるから気づくと現実に建っている建物の図面が保存されていないことになる。

そもそもこのコンペは昨年12月に僕が提案して要項の案をつくり年内に募集をする計画だった。審査員が決まらないだけではなく、募集の開始がどんどんずれ込んでいく。ついに2月の末になってしまった。後で分かったのだが政府の許可が降りるのに時間がかかるのだという。何事にも政府の許可である。当然、応募数が増えない・・・一ヶ月後の締め切りでは設計している時間がない。このコンペは失敗だったか・・・と頭を抱えていた。

審査会のある前日になって千案を超える応募があったというのでびっくりした。精細な図面がたくさん集まっている。こんどは審査は二日間じゃできそうにない。理由を聞いてびっくりした。ここでも政府が動いている。政府が各大学に応募を命じていたのだ大学は学生を動員して取りまとめて提案しているらしい。自由な学生の判断での応募じゃなかったのだ。そのことと関係して、審査の段階でも学校側の意見が重視されることになる。コネクションで応募が増え、コネクションで審査結果に影響を与える。

中国人はお金を払うことを嫌う。お金にこだわる。これだけ聴くと拝金主義だと思うのだろうが,そうではない。中国人は未来に深い不安を持っている。頼りにできるのはお金だけだと思っているらしい。日本のように能力があれば未来がある・・・という訳にいかないのだ。コネクションのためにリベートを支払い,そのためにお金を貯蓄する。金がないとコネクションが作れないし生かせないからである。

中国人は税金の支払いを極度にいやがる。僕は当然のことだから中国サイドで税金を徴収してくれというのだが支払う側でも税がかかるらしい。ビジネスではない講演会だったかのように支払いたいらしい。中国人は自分の国を自分たちがつくっていると思っていない。突然、政府がいろいろなことを決めて通達してくる。子供は一人だけつくれる・・・などというどんでもない政策も政府が決めて一方的に通達してくる。市民はそれに従うだけである。「国に政策あれば、国民に対策あり」というそうである。

このような感覚で国を愛することは不可能だろう。自分を守るのはお金と家族だけということになる。国をつくるために税金を支払おうという思いは欠片も生まれない。反日だって政府の政策だからそれに従っているだけのことである。昔から中国はいろいろな民族の侵入を経験してきた。その都度、中国人は時に南に逃げ、時に防御性の高い建築を創り上げて自分の命を守ろうとしては来た。しかし、結局のところ大きな力には反抗せず従うことで生き延び,「耐える」という強靱な精神力をつくってきたのだろう。

中国は渾沌の文化だと僕は考えている。多様性の文化といってもいい。渾沌も多様性も1つの文化が他の文化と融合してできる文化という意味ではない。渾沌も多様性も固有な多様な文化が融合することなく共存することを意味している。大陸の中国ならではの文化と言えよう。島国の日本は他の文化に占領されることもなく、閉鎖政策を敷かなくても文化は純粋性をもったものに醸成されていく。日本人は多様性にも渾沌にもなじめない文化と人間性をつくりあげている。

さあ、これからの時代には多くの外国人と共に過ごすことになるだろう。いつまでもクールジャパンなどと文化の純粋性を売り物にしていては未来の日本はない。

日本人の特質は日本のこの様々な状況と今日までの歴史が創りあげている。中国人の特質もそれと同じ理由で出来上がっている。僕が初めから「中国人が好きだ」ときめてから中国通いを始めたことは正しかったと思う。自分と違うから否定するのではなく、一呼吸置いて全体から中国人を受け止めていくことで理解が深まっていく。

一面だけで判断をしないでおこう。拝金主義と簡単に否定的に見ることを止めよう。それぞれに置かれた状況があることを理解しよう。そして我々自身、多様な社会で育ち、多様な生い立ちを経験したのだが、その上に、民族的な相違や宗教的な相違をもった人々と共生することになる。多様性のなかで共存する力を身につけていくべきだろう。

そもそも、生物は多様性の環境で健全な生命力を育てる。そもそも生命それ自体が渾沌なのである。僕は建築や都市やプロダクトで渾沌を描いていきたいとさえ思っている。

(写真は北京、751の一角_アートギャラリーがたくさんある。工場の残骸と自然の蔦と現代の自動車と人間の痕跡が調和している)