12月 31, 2013

一緒に上海へ行った友人が自由行動のあとでこんな報告をしてくれた。横断歩道がなかなかないから行き交う自動車の間を縫って何とか反対側に渡ったのだが、向こう側にいた見知らぬ人が声をかけてきたそうです。「あなたたち日本人でしょう?」と。あのような横断の仕方は中国人はしない・・・と言うのだそうである。

そう、中国人は自動車の流れを平気で横切る。自動車も歩行者を轢かないようそっと気遣いしてくれる。だから道路の横切り方のコツは細心の注意は払うのだが、恐れずがんがんと歩いて、止まることなく渡ることなのだ。立ち止まると車も「それなら僕が行く」とがっと突っ込んでくる。

この人間と車の関係は車と車の関係でも同じである。中国の道路には信号が少ないからチャンスさえ見えたら横切ったり割り込んだりは平気である。要はぶつからなければいいのである。中国の道路、特に北京の道路の車線は多い。たくさんの車線をがーとならんで走っている。車線の横には自転車道があり、歩道がある。

このたくさんの車線を車は自在に自在に車線変更して走っている。ちょっとでもチャンスがあれば割り込む。これは歩行者と自動車の関係と同じである。わずか50ミリ程度の感覚を残して上手く割り込む。過剰なほどに管理されて過ごしている日本人には異様なのだが中国人には普通のことである。日本はたくさんの法律があり、指示があり、作法があり、過剰なほどの社会性を要求されてその狭間を生きているのだが、中国ではその管理も指示も作法も希薄なのだ。

東北の大震災の時、東京駅で帰りそびれた人たちがおとなしく電話に行列をつくっている写真が全世界に配信されて賞賛されたのだが、見方を変えれば「世界で一番、管理されたおとなしい日本人」に見えただろう。日本は自由世界でもっとも管理された国だという。僕もそう思う。

そこから見ると、中国は作法がない、ルールがない。ルールを無視した無秩序な社会に見えてくる。もちろん、そんな中国ではネガティブなこともたくさん起こる。契約しても「こんな紙切れ・・」と破棄してしまう。約束しても「できれば支払いたくない」と思っているから最後の支払いは無視されることが多いらしい。税金もできらば支払わないように、いろいろ手を打つ。たしかに社会性がないかのように見える。しかし、自分に利益がもたらされる時にはお金は惜しげもなく支払う。贈賄がそれである。あくまでも彼ららしい方法で、安全に横断し、快適に運転し、上手に生きているだけなのだ。

作法や法律が我々の生活を縛っている。ネガティブに言えばそうなるのだ。ひとりひとりが幸せに過ごしながら人に迷惑をかけないことが大切なのだ。作法もなく法律もなく、それでも平和に過ごしているのが野生の世界である。強者は弱者を従え、ボスざるは雌ざるを独占するがそれも強い遺伝子を残す仕掛けである。強者が弱者を駆逐するからいい遺伝子だけが残されてその種の未来が保証される。過剰に繁殖すると種が滅びることを知っているから自然に淘汰されてある数を保っている。

人間事態も知れば知るほど巧妙にできている。そのように自然の仕組みは信じられはいほどに巧妙にできている。その自然の仕組み、人間という自然の仕組みをそのままに共存して生きる姿が中国に見ることができる。中国は不作法で文化度が低いと思ったらとんでもない間違いである。自然の力が生きているだけである。むしろ先進国の過剰な管理こそ反省するべきだろう。

子供の教育のことも再考するべきだろう。親の過剰管理がこどもの本能的能力の発達を阻害している。過剰に大切にされた現代人は生存の能力をなくしつつある。

中国のこの共存の原理を僕は「群の原理」といっている。素朴だが、ある意味では理想的な社会の構造である。個性的なひとりひとりが他者に配慮をしながら自分の欲望を実現させようとする。他者の欲望と戦いながら、全体が群として調和を保っている。

(写真は鳥の群)

12月 30, 2013

人生を歩くという。歩くは常に活動する人間の普通の姿を表している。人生は走ってはいけない。人生は立ち止まってもいけない。いけないというより立ち止まることができないのだ。

筋肉も骨も身体全体が止まることをよろこんではいないようだ。じっとしていると身体が固まってしまう。やはり動いているのがいい。いつも何かを考え、動いているのがいい。人生を歩いているのがいい。

人生は立ち止まっているように見えても、実は動いている。常にことなる状況が訪れて明日は今日と同じではない。2014年はきっと新しい光景が顕れるだろう。それに対応して僕の心も変化する。

もう何年も前のことなのだが、文化デザインフォーラムで白虎社がダンス教室を開いてくれた。初心者向けのダンス教室である。野獣のように動きなさいというのである。ダンスの基本は野獣の動きだという。自分がライオンになったような気分で身体を動かすと身体の全部が動き始める。いかに人間の普通の動作は全身性を失ってしまっているかに気づかされる。

これは僕が歩きながら発見した歩き方と似ていることに気づいた。そしてまた、NHKがいつか番組で語っていた肩の凝らない歩き方とも似ている。

簡単にいうと「野獣の動き」なのだが、もう少し解説すると「競歩のような歩き」ということになる。「腰を入れて歩く」と言ってもいい。人間は二足歩行になることでいろいろな矛盾を背負うことになった。内蔵の下垂もそうだが胸に感じる不安だってそうである。立つことで地面に守られていた胸が露出して胸に不安感を感じるようになったのだろう。

野獣を見ると、いや猫だって犬だっていい。観察すると人間と明らかな相違は「腰を入れて歩いている」し「肩甲骨までを動かして」手を運んでいる。「競歩のように歩く」とそんな動きになる。まるで手足のストレッチしながら歩いているようになる。

NHKの番組では「いつもより7㎝ほど歩幅を大きくして歩きなさい」というものだった。そうすれば競歩のようになる。要するに二足歩行になって人間は足と手を軽く動かすだけになってしまったのである。

僕は野獣のように歩くことで肩こりがなくなった。いつも腰の上や肩甲骨が凝っていたのだがそれがすっかりなくなった。人間は人間になることで身体も心も楽をするようになった。平坦な道路を歩き、安全の確保された環境で緊張感なしで動き回れるようになった。作法があるからチケットを手に入れるためにも行列をつくって争うことがなくなった。官僚たちが法律をつくって安心安全な街作り、家造りをするから注意深く行動する必要もなくなった。

人間社会は気づけば管理されて野生的感覚を必要としなくなっていた。野生の喪失である。僕は今、どうしたら野生を取り戻せるかを考えている。人間や環境や時代を野性的に感じる能力を育てたいと思っている。僕の中に眠ってしまっているこの野生を呼び戻すことでこの複雑な時代を乗り切る力を得たいと思っている。

未来は読めない時代になった。あまりにも激しく変化し、多様な価値の共存する時代を生きるためには組織的判断や科学的判断では間に合わない。未来を読むより未来を願う強い願望の力が必要になった。野性的感覚で人のこころや時代の空気を感じる生き方が求められるようになった。人間は平等だ・・・などと主張しているだけでは生きられない時代になった。自分で自分の生活をつくることが大切になった。競争の力を培う時代になった。異なる文化が争いながら共存する時代になった。お互いの尊厳を認めながら競争する共存時代になった。

心にも体にも野性的な能力を育てたい。

12月 21, 2013

「デモクラシー」は「民主主義」と同じではないという。しかし、この問題を論ずることは控えよう。

いずれにしても社会をどう市民が構成し、物事を決定していくかがこの二つの概念の重要なポイントであるらしい。

この政治的視点を避けて、この二つの概念に関係する要素を考えてみたい。

 

大切なのはおおよそこんな概念だろう。「1_自由」、「2_平等」、「3_多数決」、「4_権利」、「5_寛容・協力・譲歩」。この5つになるだろう。

(Bureau of International Information Programs “Principles of Democracy” より)

 

なかなか上手く説明されている。自由な個人といえども他人の権利を阻害してはならないし、平等といえども物事の決定は多数決でなされ、少数意見は寛容と譲歩によって個人の権利を損なわないように配慮される。

僕たちはこの民主主義に従って曲がりなりにも平和な生活を過ごしてきた。

 

そこで、もう一度、この多くの社会の人々が幸せに暮らす「政治や社会構造」という視点を離れて、その概念を考えてみたいと思う。

この5つの要素のなかで大切なのは「自由」と「平等」と「権利」だろう。多数決はさまざまな弊害が論じられてきたし、5つめの寛容・協力・譲歩は曖昧だが大切な概念だから「人間関係の潤滑油」ぐらいに考えて論じる必要はないだろう。

 

そして、この三つの内の「権利」は個人の基本的で根源的なものと考えていい。生命体の大原則である。そしてもう一つ、「自由」はこの他人の根源的権利を侵すことなく発揮されるべき権利である。人の権利を侵すことなく自己の自由の権利を発揮すればいいのである。欲望の赴くままに何をしても自由ということではなく、他者への配慮をしながら自己の権利を全うすることである。

 

本当はこの「権利」も「自由」も社会的な概念としてではなく、自分の内的なテーマとして考えるべきテーマなのだろう。民主主義の5つのキーワードのなかでこの「権利と自由」は哲学的、或いは思想的なテーマとしてとらえるべきなのだろう。近代哲学はこの問題を思索してきたのだ。

 

そうなると最後に残るのが「平等」である。この概念は権利や自由のように哲学的概念ではない。むしろ社会的な概念であり、政治的概念というべきだろう。しかし、同時に人間の根源的権利にも関係している。その上、多様で唯一性のある個人と個人がどのように平等であり得るかを考えると、曖昧であるだけではなく、根本的矛盾さえ感じる概念である。

子供と大人はどうすれば平等なのかは難しいテーマである。男と女の平等だって同じように難しい。同性で同年齢だからといっても個性や生い立ちは全部、異なる。ますます「平等」という概念は怪しくなる。民主主義の基本理念に入れることさえ危険な概念だといえそうである。

 

「平等」とはいったい何なのだろう?そんなことはあり得るのだろうか?どういう状態を平等というのかさえ分からなくなる。チャンスの平等が大切だとも言う。結果の平等ではないというのである。しかし、チャンスだってその人の状態が様々である以上、抽象的でしかない。大学を受験する資格は平等でも具体的にひとりひとりの状況を考えたら大学より自立してベンチャー企業を興したい人だっているのだから大学受験の平等など意味がないのである。その異なった夢を持つ二人に平等にチャンスを与えることなどできはしない。

 

「差別」はもう一つ異なる概念というべきだろう。「平等」は基本的権利のにおいをもつ概念だが、「差別」はこれと異なって、人間の他者への意識の問題である。そして、その意識が平等な扱いを否定してしまうことになったりするのだ。しかし、扱いの問題以前に、差別意識が問題なのである。これにはひとりひとりの、或いは時には民族同士の、長い歴史が創り上げる感情があるから簡単ではない。世界の争いはここから始まることが多い。

子供たちの学校での「いじめ」もこの差別が背景にある。習慣の異なるこども、経歴の異なる子供、癖の異なる子供、生活レベルの異なる子供へ、肌の色の異なる子供の感情が差別を生み、いじめに繋がったりする。しかし、これは平等のテーマには近くても「平等」のテーマを考えるのには役立たない。

やはり、人間はそれぞれの立場からどう生きるかを考えるのだ。それぞれが学び、訓練して自分の夢を実現するように努力する。その努力が報われることが大切なのだろう。しかも、努力しても生まれながらの才能からなかなか夢が実現しない人だっている。

誠実に努力してそれでも能力がつかない人と持ち前の器用さで才能を発揮しているけれど誠実さに欠ける人だっている。様々な人間がひとりひとりその人らしい方法で努力している。これをどう評価するのが平等なのだろう。

 

能力がない人でも、誠意のない人でも、努力する気持ちのない人でも、どんな犯罪者でも、人間としての尊厳を持つのだから・・・と考えれば人間としての根源的尊厳という意味ですべての人は平等に評価されるべきだと言うべきなのだろう。犯罪者はそれなりに償いをしながらそれでも人間の権利と尊厳を持っていると考えるべきなのだろう。

 

複数のネズミの群を檻の中で飼育していて、そこに発見できる「平均より優れたネズミ」と「平均的なネズミ」と「駄目ネズミ」を分類して、その群の能力を向上させるために「駄目ネズミ」を排除する。普通に考えれば駄目ネズミがいなくなるのだから優れた「ネズミ社会」ができると思いがちなのだが、しばらく観察するとちゃんと「駄目ネズミ」が群の中に発生しているのだという。群はそれ自体が一つの生命体なのだから駄目ネズミもその群のなかで役割を果たしているのだろうというのである。人間社会も同様だと考えられている。

はやり、駄目人間も役割を果たしているのである。それなら能力の優劣に関係なく駄目は駄目なりに社会が評価をする必要がある。

能力なりの収入を得ながら、その収入なりに生活をする。平等ではなくても最低限の生活を社会が保証していく必要がある。人間の尊厳と「それ自体、生き物のような社会」を構成する一部として権利を持っていると考えるべきなのだろう。能力主義だけでは済まされない評価が要求されることになる。

 

「平等」は社会秩序の問題であるだけではなく、人間の「尊厳」すなわち、「権利と自由」にも繋がる問題を含んでいる。膨大な考察と研究が必要なテーマになるのだが、それでも「平等」の概念は人間の内的問題にはなっていかない。

社会のあり方を決めることのできない中国と民主主具の国、日本を行き来しながら、人間のあるべき姿を考えている。政治の問題としてではない、人間の生き方の問題としてである。社会主義か資本主義かという問題でもない。イデオロギーの問題としてではなく、社会制度の問題としてでもなく、人間の心の問題としてこの「権利」と「尊厳」と「自由」と「平等」を考えている。

中国も日本も確かに「格差」がある社会である。富裕層であろうと貧乏人であろうと、人間の「尊厳」と「権利」と「自由」は内的テーマとしてしっかりと存在する。そして、社会主義社会だから、共産党一党支配の国だからといってこの「権利と尊厳と自由」のテーマは日本と異なることはない。

 

難しい話になってしまった。そのつもりはなかったのだが、どんどんこの難題の深みに填まってしまった。時にはこんな時間も価値があるだろう。

 

 

 

 

 

12月 18, 2013

またまた、愛国心教育という話題が政府から出てきた。愛国心ってなんだ?国って何だろう?

数年前のことだが、ソウルで講演をしたとき、聴衆の女子学生から「先生は愛国心についてどう思いますか?」という質問を受けてびっくりしたことがある。しばらく聞いていない単語だったから一瞬、戸惑ってしまったのだ。僕は即座にこう答えた。「僕は国のためにデザインをしたことはないです。世界の人間のためにデザインをしています」・・・と。

そういえば、もう三度にわたってソウルでの「東アジア三国の文化比較」に関するセミナーに招かれている。三度目は僕の尊敬する李御寧さんの推薦だったからよろこんで出席した。三度目に招待されたとき、僕は不思議な感覚を持った。どうして韓国はそれほど東アジアの三カ国、中国、韓国、日本の文化比較をしたがあるのだろう・・・と不思議になった。

ちょうどその頃、僕は「東アジアの美意識」という講演を中国のいろいろなところで始めていた。中国のデザイナーたちが自分たちのアイデンティティを知りたがっている、中国のオリジナルデザインて何だろう・・・と考え始めている時だった。それまで真似をしていればよかったのだが、彼等もコピーをしてはいけないと思い始めたのだろう。自分たちのデザインを探していた。中国人ではない僕にはそれを語る資格がない。そこで東アジアの美意識を語ることで中国のアイデンティティ探しのお手伝いをしているつもりだった。

そんな時だから、僕はこう主張していたのだ。「もう国は重要じゃない」、「文化圏こそ重要な概念だ」と主張していた。グローバル社会になって、当たり前に中国人や韓国人と交流しながら、政治の世界だけに対立し合う「国」の概念があった。どうして人間は、文化的視座では友人なのに国家の概念が登場すると対立的になるのだろう・・・と「国の概念をすてるべきだ」と思っていた。

そんなときに李御寧さんからの誘いだったのである。ソウルでのセミナーで僕はこう話し始めた。「三つの国の文化の比較が今回のテーマですが、僕は三つの国の共通性についてお話しすることにしました」・・・と。そうして、キリスト教文化、イスラム文化と東アジアの文化の相違を語ったのである。

そのことについて疑義は提出されなかったのだが、僕のレクチャーが終わってから壇上の韓国人の講師から「黒川さんのお使いになった<李氏朝鮮>という概念は韓国に対する蔑視語です・・という疑義がでた。僕は「それではどう言ってたらいいのでしょう?」と質問したのだが回答がない。彼女自身、蔑視語ではない言い方を知らなかったのだろうか??。ぼくは「朝鮮王国」でいいのでしょうか?と問うた。

韓国の人々は朝鮮人という表現が嫌いのようである。中国で北京清華大学の教授からなぜでしょうと質問を受けたのだがよくはわからない。その教授は会食の席で韓国のデザイナーに朝鮮という表現をしてしかられたのだそうである。

それはそうとして、どうして韓国の人々は自分たちが中国や日本と違うということを主張したいんだろう・・・。この相違を主張する感覚から「愛国心」が生まれているとしたらなにか怖いものが潜んでいるように思ってしまう。韓国では小学校から愛国心教育をしている。中国でもメディアは反日的情報を流している。

日本までそれをやるのか!と愕然としている。僕たち以上の年齢の日本人はこの愛国心という思想に翻弄された恐ろしい記憶がある。そうして、戦争を起こすことになったのだ。自分の国を愛することはいいことなのだが自分の国を愛することが他の国への蔑視や他の国の否定に繋がる可能性を感じずにはいられない。

僕は中国での講演に際して、必要以上に日本の文化が中国の文化を土台にして形成されてきたことを強調する。僕のどこかに、僕たちは同じ文化圏なのだと主張したいのだ。

本当は、同じ意見だから強調するのではなく、異なる意見だから歓び合い共存する時代が好ましい。意見が同じだねと握手するのではなく、意見が違うねと握手したい。同じ考えの人たちとグループを作っても成長はない。違うからこそおもしろい。そんな風になればいいのだが、違うことを対立関係と解釈し、理解することは本当は気に入らない。

愛国心は単に国を愛することなのだが、他の国の否定に繋がって行くことが恐ろしい。今回の安倍政権の「愛国心教育」も中国や韓国に対する日本人の排他的な意識教育のように思えてならない。今、僕は自分を「アジア人」だと主張している。日本は大切な、愛する故郷なのだが、まずはアジアで活動するアジア人でありたい。人間でありたい。

愛国心教育を注意深く見守っていきたい。反対を主張していきたい。その危険性を人々に知らせたい。そう思っている。

12月 16, 2013

中国の人たちの我慢強さはすごいね、と僕は中国の友人に言った。清朝の昔からずっとそうですよ、と彼は言う。確かに・・・中国人の我慢強さの並大抵ではないのは中国の歴史を見ると理解できる。元は蒙古族が支配した時代だ。明は漢族の時代だが、すぐに清朝になる。清朝は満州族が支配した時代である。

そのそれぞれの時代にたくさんの人たちが殺戮されたのだろう。でも営々と漢族は生き続けている。漢族の概念は民俗学的にはかなりいい加減らしい。元の時代に中国を去らなかった人たちも漢族を名乗っている。少数民族扱いが不利な時代は満族も漢族だと申請し、少数民族への手厚い対応が始まったら多くの人が満族になったりそうである。

日本人には信じにくいことなのだが、突然、自分たちが選んだのではない人が中国の大統領になる。市長になる。すべてが市民の関係のないところで動いている。中国のあらゆる情報は政治がコントロールしている。それは支配でもあるが「上から」中国の調和を考えてのことでもある。市民から考えると支配なのだが、中央から考えれば調和のための調整である。

こんな言葉があるという。「上有政策、下有対策」という。政府が政策を発表すると市民はそれへの対策を上手に立てるというのだ。確かに我慢強い。一筋縄ではいかない強さがある。我慢強さがビジネスでも発揮される。「お金を払いたくない」・・・これが中国人の一般的、強い心情である。できれば支払いなしで済ませたいといつも思っているから仕事をする側は大変である。

それならこちらだってそれで行こうと考える。我慢強く、絶対に払わせてやる・・・と「郷に入って郷に従う」考えで行くことにしている。中国人のように我慢強くやればちゃんとお金は支払ってくれる。税金を納めるのが大嫌いなのは中国人も日本人も同じなのだが我々はどこかで「これは義務だし、これで社会が収まるのだから・・・」と正直な申告をする。でも中国人は決してそうはしない。「できれば支払わない」という思想を我慢強く、徹底する。

長い歴史の上でも現在の生活でも、中国人は支配者が自分たちではないから「大きな力」に対抗しようとする知恵が生まれる。それが「我慢強さ」だったり「お金へのこだわり」になる。自分たちが自分たちの世界の決めていると思えなければ自分を「大きな力」から守ることに真剣に成らざるを得ない。自分を犠牲にして社会の調和をつくろうとは考えない。

中国の「大きな力」は月探査機を送ることもできる。アメリカと「大国同士」と自己紹介もする。「大きな力」が健在なら持ち前の「我慢の力」で調和を保っていく。

いつだったか・・・もう10年以上前のことだが、経済産業省(当時、通産省)のある課長が僕に言っていた。「日本で遺伝子工学の専門家を集めようとすると優秀なのは数名なのだが、中国は優秀なのが数十名、簡単に集まる」。それが中国の恐ろしさだというのである。人口が10倍いることと、この知恵と資金の集中力が日本では太刀打ちできない力である。

僕は中国人を大好きだ、と言っている。中国人とは仲良しである。いい人ばかりである。ところが中国という国家は脅威にもなる、中国のもう一つの顔である。文化と政治を分離したいな・・・とつくづく思う。中国人とは経済と文化だけでつきあっていたい。政治は僕の知らないところで動いているし、政治はどうしても好きになれない。

中国人とつきあうためには、この国家とつきあうためにも、「我慢強さ」が必要だろう。左手で指相撲でもしている気分で右手で握手し合っているのがいい。尖閣列島の問題なんてまるで指相撲の程度の争いだと思っているといい。永久に指相撲を戦い、遊びながら文化的で経済的な世界だけで仕事をしているのがいい。「我慢の力」である。

12月 06, 2013

ひとりは寂しいなと思う。ひとりでいるとき、思わずほほえむときもある。美しい風景に出会うときはすっかりひとりでいることの歓びに浸ってしまう。ひとりの時にこそ空間のすべてが僕の皮膚感覚にとどく。

ふたりでいると相手のこころが感じやすくなる。急にまわりの風景は消えてその人の人格まで伝わってくる。好きな人に触れているときはもっといいのだろうけれど、触れなくても昔からの様々な思い出がその笑顔や癖やはにかんだ様子からどきどきと伝わってくる。離れているからこそこの感覚がひろがっていく。

さんにんでいると二人でいるときと違った軽やかな会話がはじまる。集いという暖かい空間がひろがって三人の周りにもやもやと漂い始める。よにんもごにんもさんにんの延長である。群の独特な電気的信号が走り交うちょっぴり緊張感のある空間になる。

このところ、茶のことを考えている。茶は食卓の飯とことなるもう一つのうれしい時である。

ひとり茶という茶器をつくってみた。ひとりでだれもいないときに呑む茶をイメージしての茶器である。テラスに運んでひとりで風景を見ながら呑む茶のためでもある。茶はひとりに限る・・・とそんな時は思う。

日本の茶道の茶は小学校のときから馴染んできた茶である。おじいさんの催した茶会、父の時代の茶会・・・そして田中一光さんと茶の仲間と催した茶会もある。静寂の空間に湯の音を聞きながらもてなし、もてなされる茶はここへ来てよかったな・・・とほっとするメンタルな時間である。複数の人たちといながら自分に向かっていてひとりである。

ニューヨークでの展覧会のためにデザインした「between」といい、時に「蛍」という茶卓は立礼のための卓だが、明かり障子をそのまま卓にした紙と木でできた茶のためのテーブルである。こぼせば破れるからやぶれないようにそっと使う。破れたら張り替えればいいし、新しい客をもてなすときはその度に張り替えるのがいいと思っている。僕の田舎では客がくるときにはいつもあかり障子を張り替えていた。

その「蛍」のような、もう一つの茶卓を中国茶のためにつくろうと今、デザインしている最中である。日本の茶は中国から禅とともにやってきたとも言われているのだが中国人はいまでも茶が大好きである。中国文化にふれるためには先ずこの茶卓の創作がはじめの挨拶かも知れない。

中国料理は「みんな飯」である。ひとりではほとんど食べることができないほどだ。ようするに大皿盛りの料理だからである。中国茶も亭主が多くの人々にまんべんなく煎れる。小さな杯につぎつぎと注いでくれる。日本の茶の原点が「一客一亭」なのに対して、中国の茶のイメージはこんな集いの茶である。

実に多様な茶がある。ヴィンテージ物になると300年、500年まえの茶だったりする。プーアル茶がそれである。何万種類ある茶を選びながらもてなす。茶の香りを嗅ぎ、味を舌でころがして味わう。

2月に北京の798の大きなギャラリーで個展を計画しているのだがそこで発表予定である。ここではひとり茶のイメージより集いの茶が実現するだろう。


12月 04, 2013

人生は呼吸だな。人間関係も呼吸が合わないとだめだし・・・。創作も呼吸を知るといい作品ができる。肺だけではないね。心臓だってどくどく、どくどくと呼吸のように動いている。ファンのように連続的に血液を送っているのじゃない。心臓の筋肉は縮んで伸びて、縮んで伸びてを繰り返している。

呼吸は酸素を吸い込むのだけが目的なではないのだ。酸素を吸って、その帰りに二酸化炭素をはき出している。往復で別々の仕事をしているのだ。生命は酸素を連続的に吸ってどこか別の口から二酸化炭素を連続的に排出する・・・という仕組みをなぜ選ばなかったのだろう。実に巧妙にできている人間の仕組みだから何かの理由がきっとあるのだろう。

スポーツだって呼吸である。スウィングする時、ゴルフクラブでも野球のバットでもぐっと引いてからばしっと打つ。車輪じゃない、左右の二本の脚で走る人間もひだりみぎ、左右と繰り返しの動作だ。ジェットエンジンや車の車輪のように連続的ではない。この繰り返す動作で心臓が動き、呼吸して酸素を供給し、歩いている。

考えてみれば地球上での人生もそうだ。夜がきて朝が来る。陽が沈み、陽が昇る。人間も眠り起きる。働き、休息する。なぜ、ピストンエンジンのように繰り返すことで人生が動いているのだろう。マツダのロータリーエンジンは連続的だった。だから間違ったのだろうか?生命が繰り返しなのにエンジンが車輪のように連続的では生命の原理に反するのだろうか?

本当に幸せな瞬間は続かない。幸せは不幸が前提にあるからだろう。空腹なときだけ食事が美味しい。満腹じゃどんな料理も美味しくはいただけない。腹がへりおなかを満たす。誰かからお金をいただいても、いっぱい持っていたら歓びは小さいけれど貧乏しているときは嬉しい。だから幸せは不幸を前提として成り立っている。不幸があるからがんばれる。

だからスティーブジョブスがWhole Earth Catalogから引用した「Stay hungry, stay foolish」というセリフが意味を持つようになる。人生はピストンエンジンのように繰り返しなのだ。生命は連続的ではなく断続的なのだ。生命自体、生まれて死を迎える。生成して破綻し、破壊されて再び、再生する。宇宙も継続的ではないのだろう。

この断続性という生命の原理、宇宙の原理はたくさんの人生の教訓にも繋がっている。いつまでも幸せなんてないのだ。不幸だからこそ幸福が訪れる。死を意識してこそ生が見えてくる。破壊こそ創造のもう一つの形だ・・・・そう、いつか生前、杉浦日向子さんは「死はもう一つの生き方のかたちよ」と言っていた。自分の死を意識していたのだろう。

釈迦は苦行をして最後に涅槃の境地を手に入れる。悟りを開いたのだ。それなのに、涅槃は死をも意味している。悟りという最高の境地は死でもある。武士は美を完成させるために切腹した。三島由紀夫もまた美を完成させるために切腹をしている。死は究極の美なのだろう。

生命は呼吸している。宇宙も呼吸している。人生も呼吸なのだ。

宇宙は断続的である。生活も、事業も、生命も・・・。

12月 03, 2013

昨夜は物学研究会で伊東豊雄君に講演をお願いした。彼の伊東塾の塾舎で開催して、後は懇親会と楽し夜だった。

関康子さんの質問、「伊東さんは震災の後、何か思想の変化がありましたか?」。その回答の内容にあまり記憶はないのだが僕は勝手に別のことを考えていた。それは僕の東北被災地への態度、姿勢とも関係していた。僕は何度か訪れたのだが「見ること、感じること」が目的で手をさしのべることをしないままでいた。

建築家は果たして被災者と同じ地平で感じ、考えることができるのか?できはなしまい・・・という思いだった。だからあの伊東豊雄君は仕事ができる。被災者じゃないから「みんなの家」が造れる、と思っていた。どうしても「みんなの家」は「のうてんき」に見える。被災者の気持ちにきっと彼も悩んだのだろう。よそ者に何ができる・・・ときっと被災者たちは豊雄君たちの活動に心を許してはいなかったに違いない。

人の気持ちと同じになるなんてあり得ない。どんなに想像力を働かせても被災者の気持ちに近づくことなどできないに決まっている。そんなところでどんな気持ちで「みんなの家」を構想できるのだろう。

こう考えながら昔からの自分への一つの設問が僕の頭を去来した。「建築家に自邸は設計できるのか?」という設問である。被災地のあの悲劇の最中にいてはきっとあの家はできないだろう。設計の方針もイメージも沸いてこないだろう。その被災者の心境は自邸を設計する建築家とあまり変わらない。自邸とは自分の日常の整理できない様々な、混沌とした空間である。人生の現場だから生活の思想など整理できるはずがない。整理できなきゃ設計できない。被災者の気持ちはそれと同じなのだろう。

ずっと昔。そうたぶん僕の30代の前半だっただろう。僕は「建築家には自邸は設計できない」と何かに書いた記憶がある。それはそんなところからだった。

伊東豊雄君は被災者じゃなかったから「みんなの家」が設計できた。被災者と距離を置くことでやっと設計できたのだろうと思う。あのときから年月が経った。30代のあの時代の熱い思いは変わらないけれど、多少は見えてきたような気がする。

それは被災者にも設計はできるということだ。被災したこの悲劇から自らの意識を自立させて・・・現実から自分を引きはがして自分を観察さえできれば設計できる。設計という操作は自己の生活を客体化しなくてはできない。そうして混沌とした、自分も巻き込まれている現実を自分の中で客体化して初めて自邸も設計できる。

伊東豊雄君の心の中におそらく語らない無力感が潜んでいるのだと思う。講演のはしはしにそれが見えたように思う。建築設計はサービス業ではない。人の歓びや社会のために設計していると公言する人がいたらむしろ僕は軽蔑するだろう。そのように見せながら結局は自分の生き様なのだ。

いつもそうなのだが、人の講演や人の著した本に触れながら自分のことを考えている。学ぶとは考えることなのだなと思う。

(先に掲載したこの文章が途中から途切れていた。いつも直接、ブログに書くから消えてしまった内容を再現できない。新たな結論になったが修正を加えました。失礼しました)